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同棲生活を描いた無料WEBマンガ「トド彼」が面白かったし考えさせられた【やわらかスピリッツ】

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やわらかスピリッツ」で連載中(2013年時点)の無料WEB漫画「トド彼」を読んでいたら、なんかそういえば僕も色々あったなぁ。とかとか、いろいろ思う所があったので触れさせてもらいます。

「トド彼」は、男女が一緒に暮らす上でのアレコレを、独特の感性と観察眼とで「おもしろおかしく」描いた人外系アラサー同棲コメディ(なんだそりゃ)。

「彼氏がトド」という無茶な設定ではありますが、異様にリアリティのある出来事の数々から、「一緒に暮らすのって色々あるよね」と、同棲経験者なら思わずニヤっとするような、そして、ちょっと人生について考えさせてくれるような不思議な雰囲気の作品でした。いや、でした、というか連載中なんですけどね。

こういう言い方をするといらんお世話かもですが、同棲でうまく行かなかった経験がある人や(僕!)、現代っ子病を患わせたままどうにも独り身になりがちな人、そして、もうすでに結婚している人、と、幅広くオススメできる作品と思います。

僕の話は長そうなんで、とりあえず作品はこちらから。(現在は有料の単行本が出ています。)

日常の細かな出来事にも機微を感じる女性らしい「優子さん」と、男性らしくて大らかなんだか細かいんだかぶっきらぼうなんだかよく分からない「トド山さん」との「同棲あるある」をメインに、トド山さんの合コン騒ぎや仕事の事情などもやり過ごしつつ、時間を重ねて自然と一緒になってゆく感じが、アラサー、およびそれに準ずる人たちの共感を呼びそうな作品と思います。

また、この2人の話だけでなく、親戚の男の子が訪ねてきて、子供がいたら…みたく想像を膨らませるシーンや、トド山さんのお父さんが亡くなって実家に行くシーンなんかもあったりして、父母とはいえ、まぁ、言ってしまえば夫婦なんてのはしょせん赤の他人同士なわけですが、そんな二人がこれまで一緒にやって来て家族が命の糸をつないできたこととか、そして、これからまた一緒にやっていこうとする二人がいる事。とかとかの全貌に想像が膨らむシーンがあったりなど、読み手によって受け取り方は変わりそうなものの、なかなかに奥深く、耳が痛い思いをしたりしなかったり。

男・女、というステレオタイプの話で言えば、ウチの場合、お互いが半分づつ「トド山さん」と「優子さん」タイプという気もしなくはないので、そのあたりの感想も人によって変わりそうではありますが、とにかく、こんなの体験してないと書けないよね、という、細かい描写が、この手の話の真っ只中にいる人や、かつての経験を客観視させてくれるかもしれず、人の振り見てなんとやら、という反芻の意味でも、読むと面白いかもしれません(自省の念)

っていうか、そんな重いお話じゃないんですけどね。

トド山さんの「ぺったし ぺったし」という足音とか、秀逸な擬音の表現の数々も、何気ない日常の楽しさをいい感じで演出してくれてますし、起こる出来事はどれもこれもバカげたことばかり。いわゆる、取るに足らないつまらない話ばっかり。いや、作品は面白いんですけど。

なんか書いた気がしたので、もうちょっと脱線してみましょう。

僕の持論のひとつに、「人の暮らし」には2000のモノとノウハウがある。というものがあります。

同棲にせよ結婚にせよ、赤の他人と一緒に暮らすわけですから、この2000のモノとノウハウの部分で、少なからぬ衝突はあるものです。

違いを衝突と調停で埋めるのか、あるいは相手の「暮らしの恒常性」維持の仕組みを、ある単位で丸ごと取り入れて衝突を避けるのか、まぁ、方策は色々あるわけですが、こういう作業ってのは思った以上に体力・時間・柔軟性が必要なものと思ってまして。そういう意味でも家庭の時間は大事と思ってますし、個人的には、体力の余裕と柔軟性のある若いうちに一緒になった方が楽なんじゃ?とも思ったりするわけです。

体力と柔軟性があれば、あとは他人思いの善人同士ならなんとかなる。そういうもののような気はします。

あるいは、ある程度、歳をとってからなら、物理的な制約以外は思い切って妥協することも大事なのではないかなぁ。と。

生活レベルが高くなるのと同時に人々の価値観が多様化する中、赤の他人同士が一緒になるのに必要な衝突・調停コストは、実は精神的にも物理的にも増大してるんじゃないか、と思ってまして。

それは、自分に合う伴侶を育てながら、自分も相手に合う存在へと変わってゆく。という考え方の合理性を下げ、一緒になることのコストとリターンとを意識する人たちほど独り身思想に身を委ねやすい。そんな下地となりつつ、また一方で、自分のやり方を守ることに必死で一切の調停を拒否するタイプ(これには将来モンスターなんやらとか名前が付けば良いと思っていますが)の人間が、自身の行動の局所合理性を自身のためだけに説明する基礎パラメータとして、重要な意義を持ち始めているのではないか、とは、常々思っている所ではあります。

そして、このような流れは、まだ、このような流れに染まっていないロマンチストの恋愛リスクも高め、他人と一緒になることを避ける悪循環を産んでないかなぁ。と。

さて、こういう悪循環を逆回しにするにはどうすればよいのか。どうしてこうなってしまったのか。個人的にはくるくると、答えもなく彷徨ったりもするわけだけど、でも、実はみんながこう考えるだけでも、それは解決に近づくのかもしれないね。とも思ったりして、あー、年末だね。もうすぐ年が明けるんだね。といろいろに浸ったりもするわけです。

(いや、答えは出ているのだけど、それを書くにはこの場所は狭すぎるし、そもそも空気が悪いじゃないか)

単行本はこちらから。

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