「ビットコイン」などの仮想通貨で初めて相場に触れる人に伝えたい格言4つ
新年あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願い致します。管理人です。
(※ この記事は2018年1月5日に公開されました。)
相場の世界では「戌笑う」と申しまして、戌年は笑いが止まらない年となる、なんてことが言われているわけでありますが、昨年から年初にかけて、一足お先に笑いが止まらない相場展開となった「ビットコイン」などの仮想通貨の相場について、少しだけ "老害としての心得" みたいなものを書いてみたいと思います。
と、言うのもですね、年末年始に近所の寿司居酒屋に行ったんですが、ビットコインを1コイン2コインと数えている、ちょっと言葉もおぼつかないようなお若い方に会いまして、ちょっと思うところがありましてね。あー、世間では仮想通貨がこんなにも話題になっているんだなぁ。などと肌身で感じると同時に、これはさすがに憂虞せざるを得ない事態なのかもしんないな。とも思ったので。
相場を長らく張ってきた方には「なにを今さら」、という内容ばかりかもしれませんが、ここでは、β値が大きい仮想通貨を初めての相場の相手として選んだ方に向けて送りたい、4つの格言をお送りします。
1.「お前は今日、そのポジションを抱えたまま眠れるのか」
「お前は今日、そのポジションを抱えたまま眠れるのか」
はい。いきなり説教くさい格言からスタートですね。
でもこれは、VaR(Value at Risk)の観点からも大変示唆に富んだ、学ぶべきところの多い内容でもあります。
未来は誰にも判りません。したがって、相場を完全に予測することは不可能です。
人は未知のものに対して多かれ少なかれ恐怖(や希望)を感じるものですが、そういった感情を、日常を送る上で支障のない範囲に抑えて投資せよ。というのがその真意になるわけです。
資金力に乏しい個人が、相場の世界で死なない極意は "資金管理とリスク管理" の2つしかありません。
僕はβ値という言葉を好まないので、ボラティリティ(変動率)という言葉を使わせて頂きますが、高ボラティリティの銘柄を売買したとしても、リスクマネジメントと適切な資金管理さえしておけば、最悪、死ぬことだけは回避できます。
人間は眠らなければならない生き物です。あなたが毎日板を見られるのならせめて1晩、週に1度しか板を見ることができないのなら1週間。相場の事を忘れて、枕を高くして眠れるポジションなのかどうかを振り返ることは、長生きする上でとても大切なことです。
現在のところ、ビットコインやビットコイン先物を現資産とするオプションは存在しませんので、リスク管理に高度な手法を取り入れることはできません。となると、現実的には、レバレッジやポジションサイズを適切な範囲に調整し、資金管理をしっかりすることが肝要となります。
2.「金はただの目盛り」
「金はただの目盛り」
たとえそれがあなたにとっては大切なお金であったとしても、相場がそれを汲んでくれたりはしない。という意味です。
ヒリつくほどの大金でも、相手からすればかすり傷どころかそよ風ほどにも感じない、あるいは逆に、相手からすれば大したことのない一手でも、あなたにとっては致命傷になることもある。そういうアニメのような出来事が日常的に起こるのが相場の世界というものです。
HP(ヒットポイント)が1桁の人と10万台の人が混在している世界。と言えば分かってもらえるでしょうか。あなたが勇気を振り絞って投げうった5 HPは、HP10万どころか数百の人間から見ても特段の価値があるものではないのです。
昔は、目を三角にして夕飯の材料費まで突っ込んでしまう主婦パチンカーをちょくちょく見かけたものですが、そんな目をしたって出ないものは出ない。スマホゲーのガチャにせよ、投資にせよ、金はただの目盛りでしかなくて、良くも悪くもあなたの事情など汲んではくれないし、あなたの思いで結果が変わったりするなんてことは、一部の人間を除けばそうそうはないわけです。
3.「張らぬも相場」
「張らぬも相場」
これは、つまらない言い方をすれば「現金もポジションの内」ということです。
世間では「休むも相場」なんて言う人が多いようですが、僕はこちらの言い回しをあえて好んで使っています。
仮想通貨なんてのはオルタナティヴもオルタナティヴなわけで、債券、株式、そして通貨という3大ポジションの "代替" にはすぐにはならないわけですから、やはり、3大ポジションの1つである "現金" の重みは軽視できません。
仮想通貨の急騰は、見方によっては "現金の急落" とも取れますから、現金をポジる意義を疑わしく思う人もいるのかもしれませんが、"Cash is King" とも言われるように、現金を現金の形で所有すること、そして安定的な収入を持つことは、資金力に乏しい個人が相場を張る上で、とても重要な鍵となります。
4.「画面の向こうに人を見ろ」
「画面の向こうに人を見ろ」
これは相場に限った話ではなく、画面が関わるもの全てに対する僕のポリシーでもありますが、お金を直接やり取りする相場の世界では、こういった感性はより一層必要となるものです。
板の向こうにいる相手の質、数、手札、動機、思惑、そして、彼らを取り巻く環境など、こちらからは簡単には見えない部分。そういうものに対する想像力。
相場は、様々な力の合力で動くものですが、そんな中で、自分の中に第三者的な目線を持つよう努力することは、自らの視野を広げてくれるだけでなく、相場予想の粒度を細かくすることにもつながります。
昨年2017年から、いよいよ仮想通貨と現実世界の金融・証券との接続が現実のものとなってきました。これは、仮想通貨全体が次のステップへ進むのに大変重要な要素のひとつで、様々な人々が様々な思惑を持って動いている証拠でもあります。
現状では、CBOEのGXBT、CMEのBRRともに取引量は多くはないものの、値幅制限のあるまっとうな取引所に参考基準レートが乗った、というのはかなりエポックなことで、社会にようやくその価値を認められた。と言えなくもないわけです。(もっとも、現時点のビットコイン先物は、IBだと1枚売るのにイニシャルマージンが日本円で564万ほど、買いで106万ほど必要な状況ということで、上場したからといって信用されているとも言い難い状況ではありますが。それと比べると、国内取引所の基準は非常に緩いと言わざるを…)
いずれにしても、これを機に、他の仮想通貨も徐々に現実世界と接続されるようになるかもしれませんし、証券化への道も開かれやすくなることでしょう。また、銀行間送金など、実世界とのつながりを模索するものもあるでしょう。
それらがモノになるのかは判りませんが、少なくとも、様々な意思を持って動いている人々がいる。そういう部分を画面の向こうに見据えることは大事なことと思います。
まとめ
2018年が仮想通貨にとってどういう年になるのかは判りませんが、1つだけ言えることは、例えば、株式会社であれば、潰したくない、というたくさんの意思があり、彼らが実際にそのために心血を注いでくれる。だから維持・発展できる。という仕組みが出来上がっているわけです。
仮想通貨は、その誕生当初から、技術畑の人間が「面白い」と感じる要素を湛えて生まれてきました。今では技術畑とは無縁の人々をも巻き込んで、現実世界に大きな影響を与えようとしています。しかし、様々な属性の方々が仮想通貨に触れるようになった今でも、現実社会の株式会社のように、人々がこのシステムを守り続ける価値があるものであると末永く感じてくれるのか。今年は、その真価が問われる最初の年になるのではないか、というのが僕の所感です。
僕は、大昔の記事で、「ある仮想通貨に技術的な問題が発生、あるいは顕在化したとしても、仮想通貨間取引所があり、そこに流動性がある限り、仮想通貨界全体が破綻することは避けられるだろう」との推測を書いた記憶があります。ひょっとすると、今年は時価総額的な意味で、仮想通貨の主力が置き換わる年になるのかもしれません。