「錬金術」と「創られた価値」と経済危機
(※ この記事は2009年1月に公開されました。)
アメリカ発の経済危機、と報道される事が多い、今回の経済活動のシュリンクに関しては、思うところのある人も多い事でしょう。
私は、マクロはミクロの蓄積である。と同時に、マクロからミクロへのフィードバック機構もある。と考えており、これが、経済変動の予測を困難にしているひとつの要因と考えています。
今回は、経済危機である現在の状況下において、ミクロ視点で何が起こっているのか、ついて思いを巡らせてみようと思います。
詳しくは以下から。
今何が起こっているのか、を整理するカギの一つは、私たち日本人が、経済危機以前にひっそりと感じていた「うまく説明できないけど薄氷の上を歩いているような危機感」にあります。
思い出してみましょう。
- 経済危機直前のアメリカの2大主力産業が、「金融」と「不動産」であったこと
→金融や不動産が、実質的に何かを生み出しているのか? - 日本も含め、マーケティングという名のもと、「需要と価値の創造」に重点が置かれていたこと
→顧客が気づいていない価値に気付かせる。という号令の元、投資対効果を机上の計算でうたい、結局のところ、本質的には不要なもの売りつけている商売が多かった。
日本では、比較的前者に対する感情論が展開されがちですが、実は、後者も、薄氷の上にあった果実を追い求めていたのではないのか、というのが、私の正直な感想です。
よく、金融関連でレバレッジドな運用をしているケースがあったり、また、理論によって作られた(かのように見える)価値の「ゲタ」にあたる部分は、保守的な日本人の感情には、依然として受け入れがたい面があるわけですが、実は、実需と思われていた部分にも「ゲタ」に近いものがあったのではないか、と考えるのです。
たとえば、アメリカのCMEで取引されているVIXという指数は、それを知らない人への説明が難解にも関わらず重要な指数であり、今回の金融危機では「投資家の恐怖指数」などとの触れ込みでマスコミにも取り上げられたためご存じの方もみえるかも知れません。
この金融商品は大変面白く、また、日本人の感覚では「ゲタ」と思われるであろう代表的な金融商品なので簡単に説明します。
VIX に関連する金融派生商品の構造は、以下の様に複雑です。
- ある現物株式の集合
- を構成する個別株式の価格から、ある計算式で算出した S&P500 というインデックス
(指数。乱暴だが日本で言うところの「日経平均」のようなもの) - の先物
(期間を定めた金融派生商品) - のオプション
(期間と権利行使価格を定めた金融派生商品) - のボラティリティインデックス
(オプション価格算出の前提としている「暗黙の変動率」のインデックス) - の先物
- のオプション
といった感じで、もはや何を売り買いしてるのか、常人には理解しづらいものがあります。しかし、計算上導き出されるこれらの価値の取引を、私はマネーゲームとは思いません。理論上確かにそこに存在する価値であり、それは、取引する価値があるもの。と考えます。
(もちろん、人類がその価値を理解でき、市場に参加し、需給がある前提ですが。)
今回の問題が発生する原因となったのは、レバレッジの高さと、運用理論の性向が悪く組み合わさった事であって、理論上構築された価値だからといって取引自体を規制されるべきではありません。
あくまでも運用理論の性向。特に、市場のアノマリを発見するという触れ込みでバックミラーを見て運転するような運用や、「絶対に起こらない事」を定義し、それを利益の源泉とするような戦略。これは、いずれ事故を起こす必然を背負っており、これがレバレッジの高さと組み合わさる事が、今回の問題へとつながったのです。
私の言う、金融関連における「ゲタ」とはまさにこの部分であり、これは、特にレバレッジ部分を中心に規制されるべきなのだと考えます。
一方で、実需に関連する部分の「ゲタ」の例を挙げますと、クルマは確かにいい例と思います。
自分で言うのもおこがましいのですが、私は、典型的なスマートチョイス型の消費者であり、購入する実用品については、イニシャルコスト・ランニングコスト・クロージングコストを調べ、投資対効果を検討したうえ購入するスタイルを取っていますが、検討した結果、車を保有しない方針を貫いています。
私が思う車の弱点は以下の通りです。
- 資産として位置づけた際、新車購入直後の減価が激しすぎる。
すなわち、新車販売価格自体が適正でない。 - ハンドルを握っている間は、音楽・音声がらみ以外に何もできず、時間の利用効率が悪い。
- 市街地では、渋滞や信号により、平均巡航速度20km程度でしか移動できず、長距離移動には多大な時間を要する。
- 特に、多くの人が移動するときにはさらに効率が低下する。
- これらの欠点により、利便性を大きくスポイルされるにも関わらず、車のライフタイムコストが高すぎる。
- 運転に係る刑法上のリスクを運転者が背負う必要がある。
つまり、車を購入する事で、貴重な時間とお金を両方失う。と私は判断しているわけです。
正直、車で郊外へ出るよりも、電車で都心部へ出て、車を保有せずに浮いたお金で高級な店へ行った方が、より高い質のサービスを受ける事ができ、時間も節約できる。という考え方なのです。
車が解消すべき問題の一つは、このような生活視点で見たときの「投資対効果」であり、車は、それを保有する事で「ホラ。こんなに得になりますよね?」という明確なプレゼンが無ければ、今後、激しい消費選別の対象となりえます。少なくとも、既にそういう消費層がある一定割合出現しているとメーカーは知るべきです。
極端なことを言えば、今度発売される新型プリウスが280万円であるとするならば、それを購入しても、最終的には400万円浮くんだ。という方程式が必要な消費者がいるという事なのです。
実は、車がないと生きていけない、というのは作られた幻想であって、まさに「ゲタ」のいい例と思います。
これ以外にも、営業効果により創造された価値は、他のものよりも一層選別対象となりやすく、「ゲタ」は外れやすくなるでしょう。
昨今よく言われている、消費・調達のスマートチョイス志向というのは、こういった「ゲタ」の部分をよく見透かされている。という事なのです。
今回の経済危機は、金融関連が震源地。と見られていますが、私は、もともと消費活動の志向が大きな変化を見せそうとしている中で、そのトリガーを引いたのがたまたま金融危機だったのであって、「消費・調達の志向」の問題はさらに広がりを見せると思うのです。
また、スマートチョイス志向の消費・調達は裏返せば、労働者自身も含め、サービスや商品の提供者は激しい選別の目にさらされるという事でもあり、「雇用のミスマッチ」といわれる問題の一因にもなっています。この方向性が続けば、失業率上昇の一因ともなるでしょう。
これ以外にも、せっかく商品を購入しても、長時間労働などにより(複雑化する)商品を堪能する時間がなく、実は、購入しても大して使わない。というケースが増えている事も消費意欲減退につながっていると思います。
「ゲタ」が見えやすくなると、外部調達から自前調達への巻き戻し現象も起こりやすくなるでしょう。家庭における内食の増加もこの一つですし、また、企業の調達傾向もそうなりやすくなるでしょう。
今回のケースは、金融うんぬんよりも、「作られた実需の価値」が精査される事による経済活動のシュリンク。あるいは、経済活動が「スマート(Smart)」になる。という表現が適切なのではないかと思うのです。
ただ、経済活動の参加者の大多数がある一定以上の「スマート(Smart)」さを超えたとき、何か破滅的な事が起こるのではないか、というぼんやりとした恐怖が、私の中で頭をもたげ始めているのです。